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かりん

■ 2007/04/25 Wed 23:25 「かりん」

使わせてもらっている部屋の窓をあけると、花梨の木が立っています。

わたしのうつす写真はお手軽ご近所写真か、または
日本の果てであることが多い、のだけれど
その、もっともお手軽な部類……ご近所どころでなく家の庭、写真にて
何枚も何枚も、この花梨の木は写っていて
それだからかしらないけれど、見るたびぎょっとするほどひどく
目になじんだ「かたち」をしている。

幾度となく見直されたもの。

そうして今日もなんとなく、
雨戸をがらがらと開け
どうあってもはるとあきらめるしかない、湿気た空気を吸って

となりを見やれば花梨の木がぞくりと立つ。
何年か前の冬越しのため、すっぱりと梢を切り落とされて
以来、太いきりくちを空にさらす木、
その時間を狂わせるような枝ぶりにまた
ぎくりとして

ふと、風の又三郎をうたうわけだった。

 どっどど どどうど どどうど どどう
 あをいくるみもふきとばせ
 すっぱいくわりんもふきとばせ

……すっぱい花梨。

今、花梨の木には花の咲いているところだ。
あかるい緑の葉に包まれて、かくれたように咲く
ふわりとまるく、甘い桃色をした花。
薄すぎないしどぎつすぎない、あかるすぎない、濁らない。

 どっ どどどどう どどどう どどどう  (※

花梨の実はすごくよい匂いがする。
はじめて嗅いだとき、
それが橘だということは、ようくわかっているけれど
思わず、ときじくの木の実、とつぶやいてしまったくらい
それまで知らなかった美しい香りだった。
何度でも手にとって、顔をくっつけてしまった、すべすべした黄色の実。

けれど、こんなによい匂いがするのに
味はおそろしく不味いことを私知っていて、なぜかってもちろん
ばかばかしくも香りにさそわれて齧ってみたからなのだけど
その味ときたら苦いとか渋いとかそういう形容詞を超えたところにある味で
……再現不可能。
こんなによい香りのするものがこんなに不味いなんてことがあるのか詐欺だ
と、そうわけのわからないことを今でも思うくらい、めちゃくちゃ。

かわいらしい花と
うつくしい葉と
素敵すぎる香りにひどすぎる味
それをくるめて荒れ狂う風
すっぱいかりん。

太い口をさらして立つこの木のすがた。
物語じゃないところからも「デエタ」はふらふらと集ってきて
ミヤザワケンジは不気味であるナ、と
たぶん、こころの内から納得してゆく。




風の又三郎の冒頭の歌は、出版されている物語では
「どっどど どどうど どどうど どどう」
とリズミカルに表記されているのだけれども
宮沢賢治が教え子によみきかせをおこなった場合では、ここに書いたように
「どっ どどどどう どどどう どどどう」
とのように、区切りが変えられて発語されていたとの話です。
それからはじまるお話がどんなように姿を変えるかは
個人個人のうちに、おさまるべきことでありますが。
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by stelaro | 2007-04-25 23:25 | 点景、スロウデイズ、紅茶時間