「 うきくさ 」
いちにちをけずる。
見たことのないチーズの塊をしゃりりしゃりとリズミカルに砕くように
からだをけずりこころをけずり涙の滴のかたちをけずる。
沈黙の溝。
あなたとのあいだに横たわる、みえない、ふかい、
とうめいな、溝。
気づけばするすると下りながら見上げるばかりとなっていて
ただ縫いつけられたくちが大きくさけぶ、聞こえないことばをさけぶ
思い浮かばない届かないことばはあぶくとなって流れていった
はじけて
飛沫は
あなたの背にもかからない
細かなかけらで
ただひとつはっきりとわかるさびしさしか持たず
呻きながら覆った顔の隙間からそれはうかびでた
… 「ラリックスラリックスいよいよあおく、わたくしはかっきり道をまがる」 …
仕舞っておいたもの忘れていたもの思い出さずにすんでいたもの、
ふうわり浮かびだしてきた魔法のようかと思ったさもなければ呪い、
それくらいの話それくらいの空。
ああ、あのこの手でクリイム色に塗りかえたちいさな本を
ぼくがまた握りしめるときがやってきたのだろうか
せかいのあちこちでさまざまな人がさまざまな手でひらく本を
ぼくはまるで、祈りの書のように、かかげて
毛羽立ったその表紙をなぜて、なぜて、そのなかに肺のすみずみまで浸りきりながら
ことばはちいさな杖になり
いつぽきりと折れるだろうとおびえながら、それでも
あしたへの靴を、ぽろぽろと乾いた白い泥石のなかに
転がしておいてくれるか知れず
引用:「小岩井牧場パート6」宮沢賢治