人の相談にのっていることで自分もよくなれるというイミの言葉を聞いた。
あたしはそれと同じようなことをやってやってやり続けてそしてあるとき、
じぶんのためにひとのくるしみを利用してラクになっているのではないかと思っておそれた。
もう何年も前の話。
自覚してずるいじぶんを思った。
そうしてぶつかるこの言葉は、体が拒否してしまうくらいの気持ち悪さだったけど
だけど、そのあと、
そもそも、ふつうに元気に暮らしていたら、死ぬとか生きるとかの瀬戸際のくるしみを
聞くことなんてそうそうないはずなのだから、この人はたぶん
これでいいのだろうなと思った。
気力も体力もなんとかなるようなコミュニティたちの悩み苦しみ。
あたしが、触れてこなかった「ただしい悩み苦しみの、そうだん」。
だからこのむなしい感じとか怒りとかはじぶんのなかに納めておくべきものなんだ。
黙れ、黙れ、黙れ。
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ひとに頼られるのは難儀だけれど気持ちのよいことで、
それで自分のなかの一部はまかなわれて埋められていくから、
そればかりになるとほんとうに、くるしい人を
利用しておしまいになってしまうのだ。
「いい気になるな」。
ちょくちょく言い聞かせないとあたしがすぐにだめになるところ。
ただ、その言い聞かせを繰り返したあとに、
どんなおばけとか副作用なんかが自分にしみこんでとりつくのかは、
いまいちわかっていなかったし、たぶんわかっても
ひっぺがす方法も腕もどうやらないってことに気づくのは更に更にあとになってた。
そんなこんなでK先生、
あたし今になっても「ひとを正しく使用する」ことができていません。
いっぱい教えてもらったのに。
あのころにもどりたい、と
今日、十代になって以来、はじめて思いました。