スティルライフ, I follow the sun

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長雨、深夜、不精する読書

たとえば雨が降って降って降りつづけるときに
なぜか落ち着かないような、完成されたような気分になってしまい
わたしがうろうろ、本を広げる。
ざらりとした紙表紙で
ひらいた、まっしろでないページはやわらかく雨の湿気を吸い取って
こころなしか毛羽立っているような
……そんな手触りとものがたりをもとめて。

雨にふりこめられた空とわたし。
ほんとうは、かほちゃん、を求めていた
果歩。この上なくきちんとなめらかな態度で生クリームみたいに
せかいと自分とのあいだに線をひいて
なにごともないように暮らしているひと。

しかし長雨はわたしをとことん不精にするので
わたしは果歩のものがたり(ホーリー・ガーデン)をさがすかわりに
私、の物語、ウエハースの椅子、を
部屋のなかから拾い出してきて、そのページの紙をなぜてみたり
話のなかに思い出される景色やモチーフやなにかのことを
雨といっしょにざわざわと思いだす。
犬の目や、重たいタフタのカーテンや、妹の髪とか
なんとなく人生をリタイアしたみたいな空気に覆われた
私、のもっている暮らしについて。
恋人やべたべたに甘いバカンスや旺盛な食欲、空になっていくたくさんのワインの瓶、
そういうアクティブなものたちと無関係に
終わっている部分。
読むまでもないくらいに完璧な部分。

長続きしすぎた雨はかかえている子供の絶望みたいで
わたしはこの、やわらかく水気を吸うような紙でできた
しずかに、すでに終わっているような
これからもずっとずっと続いていくはずのどこかのマンションに住む私の人生を枕の横に置いて
雨をききながら天井をみている。

長雨はみんなを少しばかり剥き出しにする、とか
そんなことをかんがえながら…

くもって、灰色の物語たち。
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by stelaro | 2006-05-28 04:43 | 点景、スロウデイズ、紅茶時間

「幸福な食卓」瀬尾まいこ

■ 2006/05/10 Wed 「幸福な食卓」

「父さんは、きょうで父さんをやめようと思う」
という出だしがあんまり魅力的すぎたので
この本が出版されてまもないころに、書店でふとこの本を手にとって
ぱらぱらとめくっていたわたしは
いけない。
と、ぱたりとそのまま本を閉じてしまった。
続きを読んでしまいたい誘惑に駆られつつ、でも
これは、きっとちゃんと購入してもっとしずかなところでわくわくと
ひとりで隅から隅までじっくり味わって読むべき本だと、思ったから。

そういうわけで、見つけてから読むまでにまたブランクのあった一冊。
とうとう、やっと、読みました。

直感はあたっていた。
おふとんのなかで、午後のひるま、ひとりきりで
めくっていく物語を読むことの幸福。
この本は「幸福な食卓」という名前であって
実際、このちょっぴり歪んだ家族の囲む食卓は幸福だけれど
その家族を垣間見させてもらうわたしもまた、幸福だった。
ひらいた窓からさしこんでくるあかるいひかりのようなものが背景にみえる、
そんなようなイメージが全体にからみついていて
わたしはそれを、たっぷりと飲みながら
物語をいただく。

出だしの父さんのひとことがヘンだったように
この物語はなんだか全体ヘン、である。
父さんをやめて仕事をやめて浪人生になりフリーターになってしまう父さん、
うちを出て一人暮らしをはじめてしまう母さん、
市内で評判の天才児のくせに進学をやめて農業をはじめ、晴耕雨読の日々を送る兄、
それプラスわたし、の四人がかこむ家族の毎日。

だいたい、わたしは突拍子もない設定の
ひとくせもふたくせもありそうな人たちが語るごくありふれた話、というのが
とてもとても好きなのだと思う。江國香織の「きらきらひかる」を読んだとき
感激したみたいに……あれはホモの睦月とアル中で情緒不安定な笑子に
睦月の恋人の紺くん、の三人による、なによりもごくふつうの恋愛小説で
……それ以来、くらいの、
突拍子もなく、ごくありふれた魅力的な、話。

ただ、オビの、「ありえない感動!」という文句は
それがありえないかなと思いましたが…(苦笑)

話自体は、もしかしたらそうめずらしくはないのかもしれない。
でも、この、父さん母さん兄いもうと、の四人と
彼らを守っているもの、壊しているもの、わだかまり、棘、やさしさ
それらをするすると描いていく筆のとうめいなあかるさは
ほんとうに好ましいものだ。
同じモチーフを扱っても、きっとたいていのときはぜんぜんちがった風になる。
父さんは自殺未遂をして母さんは病気になって宗教にはまったりし
兄は人生を投げてしまい、私は梅雨のたびにフラッシュバックに悩まされる
という要素そのままの小説になっても構わないわけだ。
なんだか真剣に真正面から悩んじゃったりするような話に。

けれど、この瀬尾まいこさんというひとは、そのことをしない。
それはべつに問題を回避しているのではなく
むしろ、ただ、日常を描いている、、、ということなのだと思う。

ひとがぽっかりいなくなったとしても
でも
生きている以上、時間は流れていて、痛みは残るけれど流れていて
同時にひとは笑ったりするのだ。
おいしいものを食べたりもするし
別にその後の暮らしが100%闇になり悲劇になってしまうわけではない、、、と
いうこと。わたしは知っている。
ひとはちゃんとつよい、動物だから。

一日前に「ある朝スゥプは」という映画をみていて
それがどうしようもなくこの小説の対極にあるような映画で
病気がきっかけで新興宗教にはまる彼氏とその恋人の話、
当然のことながらぼろぼろに崩れて壊れる恋人同士の半年の話だ。
しかし、この幸福な食卓では、話はちっともそうならない。
心を病んで怪しげなセミナーみたいなところにせっせと通った母さん、は
今ではあっけらかんと和菓子屋に勤め
父さんをやめた父さんは、「知り合いが売っていると思うとうれしくなって
ついついたくさん買ってしまいたく」なって
桜餅20個(!)を妻より買って、夕飯にしてしまったりする。

たくさんの食べものが出てきて
たくさんのへんてこなひとが出てきて
いっしょうけんめい愛したり愛されたりしていて
いやなこともかなしいことも
ちょっといいことも、いろいろ起きて
ああ、幸福になんてなってしまうかもしれない、と
最後のページをとじて、
わたしが満足の吐息をつく。



data :
幸福な食卓」瀬尾まいこ、2004年、講談社
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by stelaro | 2006-05-10 11:56 | コトノハ:ブックレビュウ