スティルライフ, I follow the sun

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カテゴリ:ps & p.s.( 16 )

あぶく:先生のいたころ。



人の相談にのっていることで自分もよくなれるというイミの言葉を聞いた。



あたしはそれと同じようなことをやってやってやり続けてそしてあるとき、

じぶんのためにひとのくるしみを利用してラクになっているのではないかと思っておそれた。

もう何年も前の話。


自覚してずるいじぶんを思った。


そうしてぶつかるこの言葉は、体が拒否してしまうくらいの気持ち悪さだったけど

だけど、そのあと、

そもそも、ふつうに元気に暮らしていたら、死ぬとか生きるとかの瀬戸際のくるしみを

聞くことなんてそうそうないはずなのだから、この人はたぶん

これでいいのだろうなと思った。

気力も体力もなんとかなるようなコミュニティたちの悩み苦しみ。

あたしが、触れてこなかった「ただしい悩み苦しみの、そうだん」。



だからこのむなしい感じとか怒りとかはじぶんのなかに納めておくべきものなんだ。

黙れ、黙れ、黙れ。


・・・・・・・・・・


ひとに頼られるのは難儀だけれど気持ちのよいことで、

それで自分のなかの一部はまかなわれて埋められていくから、

そればかりになるとほんとうに、くるしい人を

利用しておしまいになってしまうのだ。

「いい気になるな」。

ちょくちょく言い聞かせないとあたしがすぐにだめになるところ。


ただ、その言い聞かせを繰り返したあとに、

どんなおばけとか副作用なんかが自分にしみこんでとりつくのかは、

いまいちわかっていなかったし、たぶんわかっても

ひっぺがす方法も腕もどうやらないってことに気づくのは更に更にあとになってた。



そんなこんなでK先生、

あたし今になっても「ひとを正しく使用する」ことができていません。

いっぱい教えてもらったのに。



あのころにもどりたい、と

今日、十代になって以来、はじめて思いました。
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by stelaro | 2010-10-14 02:59 | ps & p.s.

あぶく:ふえゆく荷物。



いつかなくなることが決定されている日記、というのがいくつかある。

それは、書いている人がこの世からいなくなるからだ。カウントダウン的に。

だけどそれはいつかのわたしの遺産みたいなものだから、放らずに背負ってあるいていく。

それが幾つもになる。

叫びそうになり、でも叫ばない。

いつまで続く。
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by stelaro | 2010-09-30 17:16 | ps & p.s.

あぶく:ねえ、しあわせ?



記憶力がよかったころ、

昨日のどこもいろんなことが鮮明だったけれども、

私はいつも緊張してびりびりしていた気がする。

今はぼんやり暮らせもしていて、かわりにときどき記憶がなくて

よくものを憶えていられない。

どっちがbetterかと言うとよくわからない。
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by stelaro | 2010-09-15 04:52 | ps & p.s.

あぶく:だれかの疑問。



ふつうに、

しゃべったりごはんを食べたり、眠ったり起きたり、

かわいい服にかわいいなって思ったり、したいだけなのに、

なぜにいつまでもそこでつまづいてばかりいる、

どころか、後退したりしなくちゃならないのだろ。
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by stelaro | 2010-08-30 01:15 | ps & p.s.

あぶく:ひとつのゲンジツ。


あさからひめい、をあげるげんきもなく、昼

  ・

病むというのは基本的なところでとても孤独な作業だとおもう、

こんなことがあるたびにおもう、

だれかと共有したいなんてあかるいことを思うひまなし
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by stelaro | 2010-08-27 11:26 | ps & p.s.

ps:memo「訴えの、その前に」


メラニー・クラインの言葉から?

「人間のこころの痛みというものを比較的少なくし、穏やかに人生を送るためにいちばん大事なことは、この羨望のこころを卒業していくことである。特に人の親になったり人の指導者になるというときには、子どもや指導された者の幸福が自分以上のものになっても、それに羨望の気持ちを抱かないで、本当にこころからそれを祝福することができるようになる心境に達すると、人生は非常に幸せで痛みが少ないものになる」。また、そうするためのもうひとつ大事なことは「感謝」であるとも彼女はいってます。つまり、世話を受けた人、導いてもらった人が、先生に対して、あるいは親に対して、率直な感謝の気持ちを上手に伝えることができれば、こうした親や先生たちの羨望、妬みの気持ちも癒されるということでしょう。

(小此木啓吾『こころの痛み どう絶えるか』2000年、NHK出版、第一章p50-51)


…先生や両親という「立場のことなるひと」だけにかぎらず、
まわりをとりかこんでいる、けれどまだ
現実に自分に食い込んではいないひとたち…にも適う文のように思って…
まだ顔の見えないころのコミュニケーションに、たぶんたくさん「妬み」は潜んでいる。
自分をふりかえってそう思う…ただ表に出さないようにしたこと無数。
痛みを投げられ投げ合う前に、そこへたどりついてしまう前に
ぼくは、なにかすることがないだろうかって
ツライと訴える前に、することできること。

ほんとに、ぼくはこころから、よろこんでいるだろか…?
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by stelaro | 2009-09-14 06:16 | ps & p.s.

映画、ひめゆり

■ 2007/07/22 Sun 「映画、ひめゆり」

よのなか、がどんどん遠ざかっていくにつれて
八月十五日に祈りたいわたしはふくらんでゆく。
いや、
祈らねば、ならぬ。

去年は、沖縄で祈った。
そこなわれてしまったもののためにも
いきのこっているじぶんのためにも
自分から、消えていってしまったあのひとたちのためにも
祈った。

沖縄の旅はね
本島南部から始まるの。
それがないと
あたしは、沖縄を、おとずれたような気がしない。
つまみぐいだけして、いいとこどりだけして
たとえばエコロジーとか口で言って満足しているみたいに、
感じる。

今年はゆくところがありません。
空の旅と八月の太陽はあんまり遠く
それもあって、ここにしずかにリンクを貼ります。


長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」公式HP
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by stelaro | 2007-07-22 01:19 | ps & p.s.

ps. こころの、え

■ 2006/12/10 Sun 「こころの、え」

ある、心象画からの一節

1、
「冷たい月」
凍り付いている
寒くはない、けれど、あたたかくない
ミスは見逃されないから
ひどく緊張感がみなぎっている…指の先まで

2、
あのひとがいる明るいところへは、ぼくは入れない。
入ろうと、考えたことも、ない。
近付くことも。
そのほうが邪魔でないし、それに
離れているほうが、安全だと思う
遠ざかりすぎても、危険だけども

3、
あやまちをしてはならない、だからぼくは身動きできない。
あの人が何をいけないと考えるのかわからない。
全身で成り行きをうかがう。
何ひとつ変わらないとわかっているけれども
でも今にも何かが爆発しそうな気がする。

4、
背中は、まだ、安全。
もしも起き上がったら、立ち上がったら、
そのときはおしまい。
逃げ隠れる自由とか、はないから
たぶん嵐が来るだろう
ほかの人が結託して起きる嵐で
ぼくは、好きにされるしかない

5、
薄暗いところにいるのにどうして
隠れられてることに、ならないんだろう
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by stelaro | 2006-12-10 02:06 | ps & p.s.

ps. 若干のリアル

■ 2005/09/02 Fri 「ps. 若干のリアル」

欠かすことのできないもの。

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暗い部屋でスタンドのあかりで、おふとんにもぐりこんでから手に取るものは
体調管理のためのお薬メモを兼ねたびっしりつまったスケジュール帳、
真夏でもつめたくないカップのなかみ、
先天的に足りないと解明されちゃったセラミドのタブレット、
それから、いくつかの錠剤……増えたり減ったり減らしたりして
増えた。こんんちはただいまおはよう、、、ごめんなさいよろしくね。

そうして眠れたり眠れなかったり眠れなかったり、、、する
夜は朝につながっていって
ぞっとするような物音を立てて一日が終わり一日がはじまる。

夜は、終わることが判っているから安心だけれど
終わってしまうから、おそろしいんです……そんな矛盾。
最大級の悲鳴はきちんと隠しておいていて
ひるまのあいだには見えないので、とうぜんあなたにも
読まれているということは、ありえないのだった。
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by stelaro | 2005-09-02 00:57 | ps & p.s.

ps. ウィスパー

■ 2005/06/21 Tue 「ps. ウィスパー」

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気が向くと、というより、その必要性をたしかに感じたとき
ぼくは眠る前に一冊のノートをひろげる。
あまり人に見せられたものでもない、そして見せたこともない。

持ち前の体質とか性格の傾向が
あんまり、よろしくなくて、すこやかではなくて
ときどき、たぶん人よりも頻繁に
病気の範疇にころがりこむことがあって
そのなかで、たぶん意識的につけた習慣です。

それだから一人で吐き出すためのノヲト、
ウェブ上でいくつか日記を持っているけれど
あれは、また、人に読んでもらえる程度の脚色や
体裁をととのえた文章なので……モノカキとしての最低レベル。
ここにあるのはほんものの羅列だ
正直、あとから自分で読んでも意味不明だったりする。

嘔吐するかわりに、書き綴るという道をえらんだのは
もしかしたら僕がそもそも文章を書くことを「好き」だからかもしれない。
話すことがむちゃくちゃ下手だったので書くことばかりしていました。
ほとんど憾黙と呼ばれてもただしいくらいに無口だったローティーンのころまでに
きっと膨大な考えがあたまのなかを行き来していて
何十冊のノートを埋め尽くしたか、わからなくて。
だから未だにぼくは、話すことよりもはるかに
書くことのほうが得意です。
口に出せば嘘のパーセンテージがどんどん高くなるこの情況を
いつも困り果てながら、でも手をこまぬいているようななかで
書くこと、はおそらくひとつの自分への治療行為でありました。

たとえば、嘔吐する代わりに。
瀉血行為をおこなう代わりに。
内へ外へ身体を使って破壊的に歯向かうかわりに
たとえセンセーショナルじゃなくとも淡々と延々と
言い飽きたと身体が囁くまで耳をかたむけて自分の声を聞き取ってみる。
……囁きくらいでいいのです。
大音声なんかではなくて
わかちあう、人を求めてのことでなくとも。

表に出していえないことばが、紙の上にかたちになって
そうしてはじめて、捨てられること、自覚できること、気づけること。
ほんとうにぱっとしないし、だいいち時間がかかってしかたなく
お薬みたいな速攻の効果はぜんぜん認められないけれど
7年8年ふりまわしふりまわされるなかでさぐりあてたひとつの
このかたちで生きてゆくやり方のひとつ、なんだと思います。
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by stelaro | 2005-06-21 23:57 | ps & p.s.