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「落下する夕方」

■ 2005/06/22 Wed 「落下する夕方」

好きな小説、とその小説を映像に変えた映画、は
わたしのなかではまったく別のものだから
江國香織の作品の映画!という気負いはほとんどなくて
でも、けれど
この物語はやはり好きだと思ってしまった。

夕方に、すうっと落ちてしずんでいくブルートーン。

原作の「落下する夕方」の、あかるくてかなしい雰囲気や
どうしようもない時間の懐に陥って、ちっとも潔くなく
すでにピリオドを打たれた恋にしがみつく「梨香」という女性は
私にとっては不可思議に魅力的だと思う
そうやって生きることが好きかどうかは別として
彼女の育てるミニばらやしょっちゅう歌っている鼻歌や
美容院に行ってシャンプーをしてもらうこと、、、
その微妙なトーンのあやういけれど正しいままの生活が。

けれど映画になったこの夕方の時間の中ではそれ以上になぜだか
華子を好きにならずにいられない。
根津華子。
怒られるのがきらいで、ふらふら家を出たり入ったりしている華子。
子ども以上に、たぶんつくられてしまった子どもっぽさで
道草を食うようにそのあたりで生きている華子。

ああ、と腑におちること、落ちてしまうこと
それはふたりが車のドアを隔てて言う別れの挨拶だ。
梨香が華子にむかって言う、「いってきます」、ということばと
華子が梨香に言う、「いってらっしゃい」、ということば、
そのあいだに存在する距離とも呼べない落差。

応えを求めないでことばだけ放つことがどれだけむつかしいか
少し想像すれば、たぶんそのひとりぼっちさは計り知れず
いつもにこにこと笑っているだけの我儘かぎりないこの「子」が
裏で何を思っていても、どんな過去があっても、
その人生の休憩場所に誰をもとめても
なんだか、愛さずにはいられないような気がする。
健吾が、4年間同居していた梨香をあっさり置いて
華子、という存在に転んでしまったのも
……とても正気の沙汰でないけれど、わたしにはうなずけてしまう気がする。
それが、アウトラインだけ語ればどんなにむちゃくちゃなふるまいでも
本人同士にとってはそれだけしかなかったのだ、というかたちが
おおよそ、恋にはたくさんあると思う。

原作にもどってしまって申し訳ないのだけれど
ふたたびこの物語とそのなかの人を思い返すとき
ぴったりしている、と感じるのは文庫本の裏表紙に書かれた
小説「落下する夕方」のあらすじにあるこの一文だ。
「愛しきることも憎みきることもできない人たち」
そう、この映画の登場人物はどれひとりとっても
ものすごく愛せるわけではない
きちんとした大人の梨香も、彼女をふった優しい健吾も。
華子なんて目の前にいたら腹が立ってしかたないと思う、
でも、、、横面をはたいて罵るのじゃなく
この屋根のなかに入れてしまうのだ。きっと、きっと。

旅に出よう、と言った華子と、それについて行った梨香と。
けれど梨香は次の日東京に帰っていって
そのことが、わたしはかなしくてしかたなかった。
もうしずかにほほえむくらいしかすることがないくらいに。

ハヴァ・ア・ナイスライフ。



data :
「落下する夕方」合津直枝監督、1998年、日本、106分
原作 :「落下する夕方」江國香織、角川書店
好きになることは、 なんだか哀しい・・・。
原田知世、渡部篤郎、菅野美穂、国生さゆり、大杉漣、浅野忠信
1998年ベルリン国際映画祭正式出品作品
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by stelaro | 2005-06-22 17:22 | コトノハ:cinema